設立経緯 -History-

(設立経緯については、立ち上げ人である戸越の方からお話させて頂きます。)



二十歳で都城の専門学校を卒業した僕は、上京して千葉で働き始めました。


それから5年勤めた会社を辞め、1年間は関東各地をフラフラしながらニートとフリーターを行ったり来たりするような生活をしていました。


そんなある日、東京の大崎で派遣のアルバイトをしていた際、

3.11の大きな揺れを体験しました。


その日は交通機関が麻痺し、身動きが取れなくなってしまいました。


夜、お腹が空いたのでコンビニに食糧を買いに行ったのですが、

そこには食糧どころか水さえも陳列棚から無くなっていました。


僕の財布には当然、お金は入っていました。

けれどそれが使えない。

26年ほど生きてきて、初めての体験でした。


考えてみたら、

僕は川の水を汲んできて濾過して飲み水に変える術を知らないし、

自力で火を起こして暖をとることもできない。


「もしこの状況があと1週間も続こうものなら、野垂れ死にしてしまうのではないか」


そんなことをリアルに思い、

そこからいろんな考えが頭を巡り、

お金だけに依存する生き方は危険だ


と思うようになりました。



それからすぐ宮崎に帰った僕は、特にお金と時間のバランスを意識する生活を送るようになりました。


「自分が生きていくために必要なお金の最低量とは、一体どのくらいか?」


ということを常に頭に置きながら、それを元にお金のために働く時間をぎりぎりまで削って、自分が自由に動ける時間を生み出す工夫を始めました。


そんな生活を始めたら、暮らしや仕事、社会の中に、あらゆる無駄が見えてきました。


日常における支出の大半は

「人からもっと良く見られたい」とか

「現状の不安や不満からくるストレスを発散したい」だとか

そういった、自分の未熟さからくるものだということがだんだん分かってきて、自分の心を根本から満たすようなことに意識を向けだしてからは、段々支出も減っていきました。


また、今まで「常識」と信じて疑ってこなかった部分も、疑い始めるようになりました。


一人暮らしのアパートで個別に引くネット回線も、

個人で所有する自動車も、

よくよく考えてみれば、「とても無駄なことをしているな」と思うようになりました。


当時はアパートで1人暮らしをしていましたが、

「隣の202号室の住人の方と仲良くなって、共有できるものは共有すればお互いにとっていいじゃん!」

と思えたことは、自分にとっては大きな発明でした。

そこから家や車などを他の人と共有することで自己負担を減らしつつ、相手も無駄を減らせて得する、シェアリングの概念が僕の中で醸成されていき、「シェアハウスをつくって住む」という発想に行き着きました。


シェアハウスに住むことで、自分だけではなく他の人も生活コスト(お金と時間)が減らせるため、浮いたお金や時間で自分のやりたいこと・好きなことにより専念できるようになり、もっと人間らしい生き方が実現できると考えました。


そして、3.11直後からずっと探し求めていた

「お金に代わって自分の身を守ってくれるもの」とは

つまるところ、コミュニティだという僕なりの結論にも至りました。


宮崎県宮崎市に“宮崎村”という仮想の村を作り、3.11のような天災が起きた時に、たとえお金が使えなくてもちゃんと生き延びれる基盤をしっかりと作っていくことを目的に、村の中心に人々のハブとなる公民館をつくりました。


これが住み開き型のシェアハウス、「ミヤザキ村Coming館」誕生の経緯です。

2016年からはAirbnbを始め、海外との交流も盛んになり、コミュニティはグローバルに拡がってきています。



「課題が山積みな現代社会に、身近なところから小さな革命を起こしていく」

ミヤザキ村Coming館には、別にそんな目的もあったりします。

その話はまた当館を訪れた時に、お酒を飲みながらでも。



皆様との様々な出会いを通して、この仮想の村を少しずつ拡張していければと考えています。



ミヤザキ村Coming館

風紀委員/広報担当

戸越正路

ミヤザキ村Coming館

「宮崎県宮崎市内に“宮崎村”という仮想の村をつくる」をコンセプトに誕生したシェアハウス。 Coming館=公民館はミヤザキ村の中心に位置する、みんなのハブ的な場です。 今日も様々な出逢いが生まれています。

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